-醜形恐怖に「今」、思うこと。-



醜形恐怖に「今」、思うこと。

2012年(平成24年) 5月21日(月) am10:40頃書記。
気温/朝 21.5℃〜 天候/朝 曇り時々晴れ、風があり少しだけ涼しい、昼 蒸暑い。

今年、2012年(平成24年)の1月に大々的なHPの閉鎖をした。Top頁だけを残し後日、大まかな自身の醜形恐怖との足跡を書いた。
私は、醜形恐怖(身体醜形障害)であり「強迫性障害(強迫神経症)」でもある。この二つは明確に言って、表裏一体であると考えている。
昔は、衛生観念(水周り-トイレ・台所(生ゴミ)・風呂場-)などの環境衛生的強迫観念は殆ど無かったと言って良い。
何故なら家族と共に暮らして来たので、結局殆ど母親の仕事でもあったからだ。当時の強迫観念は、その身体的なものに斯くして焦点が集中的に置かれていた。
今、清潔、衛生観念の強迫で困っているのは上記の環境強迫と、自身の風呂の入浴時間(2時間前後)と歯磨き(30分以上)だ。この件は昔は一切無かったのに本当に悔しい。
入浴については毎日ではないが、本格的に湯船に浸る時はこれくらい掛かる。手洗いや何回も体を洗う、又他の問題で言うならば鍵掛け確認や
ガスの元栓確認などの比較的ノーマルなこれらのものは今までに全く無い。環境衛生強迫が出始めたのが05年以降(07年以降が本格的)
精神科から退院したのが03年暮れで、ここから4年近くほぼ毎日強めのSSRI(パキシル)や、メジャートランキライザーのセロクエルなどを本格的に飲んでいた。
〜環境強迫が出始めたのが、これらの薬を医師に抜かれてからだった。(07年夏頃)〜
退院した安堵からの食欲増進か、セロクエルの副作用か退院時の体重60kg前後が、数ヶ月で82kg近くまで20kgも体重増加した。
1年半くらい掛けて自室での音楽掛けながらのストレッチ兼エアロビや筋トレで、元の体重近くまでは落とせたが、結局「元」にまでは戻らなかった。
しかし精神的には気分が良く、この強力な抗うつ剤の御蔭で殆ど問題無く過ごしてはいた。(少し衝動的に、怒りが治まらないなどはあった)
これが、07年の夏に医師からパキシル(抗うつ剤)を完全に抜く方針を採られ(あなたにはもう、抗うつ剤は要らないとまで言われた)
以後、5年は本格的な抗うつ剤のお世話になっていないが、何と言うか、パキシル系の強めの抗うつ剤を飲んでいた頃と今とでは
明らかに性格がマイルドになったと感じる事が日々多い。 悪く言えば腰が重くなった、やる気が中々でない、根気が少ないなど。
これは私の20代が終わり、30代と言う本格的な大人の精神に成り果てたからなのではないかと訝ってもいる。
今飲んでいる精神薬は、ジェイゾロフト25mg×1(SSRI・抗うつ剤)/レキソタン2mg×1(精神安定剤)/ドグマチール50mg×1
(メジャー、潰瘍薬)/ロヒプノール1mg×1(睡眠薬)で、一日に服薬する量がたったこれだけである。(計4錠) 無論、飲まなくても殆ど変わりは無い。
パキシルを飲んでいる時は、薬漬けになっていたのか飲むのが飛んだだけでミオクローヌス痙攣(不随痙攣)が起った。

私は25歳頃から、今まで自身の身体的な強迫観念の囚われに覆い被さっていた視界が徐々に晴れ渡り、要するに周りの状況が
見えて来る心の余裕みたいなものが現れ出して来ているのを感じた。その、周りの状況(家庭や家族)を冷静に鑑み、省みた時は物凄いショックだった。
一時期、10代終わり頃は兎に角精神的にかなり不安定で、家具類(皿やソファー、ストーブ、電話器や炊飯器)を階段から投げ落としたり、破壊したりして
自身の行き場の無い精神的安定を図っていた時期もあった。不謹慎な事で、家が全焼し家族諸共死んでしまえば良いとさえも思った。

酷いうつ状態や醜形恐怖の強迫観念が絶望の当時より幾分か回復したのは、やはり私にとっては二度目の本格的な精神科病院への入院
大きな転機となったと言える。(03年8月初旬〜12月下旬までの約5ヶ月弱。当時、23歳時。)

その日は既に朝から醜形の強迫観念で錯乱していた私は、8月初旬には終に洗髪出来ない強迫観念(洗ってしまうと毛髪が大多数抜け落ちるんじゃないかと言う観念)
が非常に強く出だしており、部屋のザラつく壁を爪で掻き毟り唖の様に「ごぅめんなさぅぁ〜い」「ごぅめんなさぅぁ〜い」と
いつか見た何ら面識が無い電車の隣に座った同じ20代であろう前頭部の薄毛の様な男性を思い出して、命乞いをする怯えきった人間の半ば念仏の様な
半泣きの呻き声で必死に何度も謝り続ける。邪推だがその人は対人恐怖なのか俯いたままで、季節の暑さにも無く額の汗をハンカチで何度も拭っていた。
ただ只管に世の中に謝った。自分は、自分だけは禿げたくない!助かりたい。「笑わせるなよ!」、私の愚かな謝りなどは単なる免罪符にしか過ぎないのだ。
家族に救急車を呼ばれた。ソファーで錯乱して反り返った体を男性救急隊員2〜3人掛りでストレッチャーで救急車に乗せられ、そのまま一度目と同じ遠方の精神科病院へと運ばれた。
昼前後だったか、救急車内の車窓から横臥して見た8月の景色は鮮やかなコバルトブルーで雲の白さもより際立ち、置かれた絶望とは裏腹、突き抜けた普遍的な夏の空を主張していた。
病院に着いたのは良いが、入院などはしたく無い。その病院は稼いで羽振りが良いのか、一度目からの入院の数年で正面玄関や病棟類の建物が恐ろしく真新しく、増新築されていた。
一度目の入院の際の入り口はボロボロで如何にもその精神病院の様相を呈しており、トイレ付きの保護室の灰色の壁は罅割れ、精神が逝ききった患者での落書きだらけだった。
看護師等による再三の説得にも応じず入院を必死に拒み、異国の地に置き去りにされた私は当然全く土地勘も無く、迷子の子供に成り果て
駐車場の車の後ろに怖々と一人隠れていたが最後には見つけ出され、柄は屈強な分厚い柔道経験者の様でしかしまだ若輩の男性看護師4〜5人がこちらに小走りに近づいて来る。
まず看護師長が先頭に立ち、二人が両側から牛蒡程度の細身の私の腕をやや後ろ気味に反らしその大根に似た太い腕で用心に押さえつけ、一人が後方に回り
恰も長期に渡り逃亡及び潜伏を繰り返し逃げ果せて来た指名手配犯の最期の如し、そのまま病院の中へ問答無用に連れ込まれた。
借りて来た猫の様にされ、惨憺たる思いが脳漿を被い情けない感情が全身の毛穴から噴き出した。
着の身着のままのふざけた恰好で頭には禿げたくない、私は薄毛なのではないか又、その状態を見られたくないと言う妄想で5年間外出時、就寝時以外は
絶対に取らない取れない禿げ隠しの白いタオルをいつもの様に巻き、閉鎖病棟までの鉄階段を渡り病棟から病棟へと連行される。
その間の自動ドア達が開けば、人の思考を狂わせる外の熱く重い空気が一瞬にして冷房で冷やされる。もうその日の夏は既に、夕暮れ近くになっていた。
入院したくなかったのは、私の主治医の女医の話し振りが気に食わなかった事と、精神病院という場所自体がどうしても受け入れられなかった。
本意ではない(任意)半ば強制的な入院(医療保護)で、夏の暑さで全身の衣服は汗塗れで体にべっとりと不快に張り付き、既に何箇所も体中を蚊に刺されており
そのままの状態でベッドにキリストの磔刑の如きに縛られた。(身体拘束〜拘束器具で手足から徐々に全身拘束され、唯一動くのは首周りだけ〜)
この瞬間、いよいよ私の引きこもり人生の終末が来たと感じたし、今まで義務教育を受けて来た中で、自分が真面目に取り組んで発言し生きて来た意味とは一体何だったのか
私が悩み苦しみ生きて来た、生きていた世界はまるで贋の世界で、全てが否定され振り出しに戻されたと言う感じだった…。(入院後の体験談は後日。)

しかし、この入院が無かったら、今の自分は無かったと言っても過言では無いと今では思える様になった。
それ程、私にとっての人生最大の大規模な精神科長期入院となり、手厳しい冷厳な経験になった。
この経験上、神経症は薬よりも何よりも、「恐怖と立ち向かう心」、「恐怖からあえて逃げない、挑む心
(不安から逃げ続ければ振り返った時、太刀打ち出来ない程に膨れ上がる)
人が生きている生きて行くと言う事実は最早、恥も外聞も無く(神経症者は、世間体や体裁を気にし過ぎる)
とどのつまり、有りの儘の自分の姿を暴露する事によって、その「状態」に「慣れる」事が、一番の薬で症状の緩和に繋がるのではないかと私は思い続けている。
(不安や恐怖とは、その渦中に自ずから飛び込み身を置いてみれば、案外平気だったりする事が多いのである)

今、醜形恐怖と自身との関係は、03年頃まではまともに鏡を見る(要するに、洗面台の鏡なり、風呂場の姿身なり)事は
強迫確認も相俟って何ら問題は無かったが、それ以降(04年以降)は逆にどれだけ見ないで居れるかと言う事に挑戦し、成功はしたのだが
今度は「見るとまた当時の細部までの強迫確認の拘りが強く出てくる」と感じ、見れない、見ると不安になるとなり、鏡を見る、見れるのは外出の際だけで(写真などもあまり撮らない)
中程度の手鏡を床に壁と斜めに凭れ掛けさせ、なるべく薄暗い照明で(暗いと言っても明かりは点けるが、反射が無い程度)髪をセットし出掛ける、これだけである。
外の自身を映すであろう反射物も殆ど確認しない。であるから、床屋や散髪屋(理髪店)には04年初夏頃が最後で、8年は外で髪を切っていない。
その後は現在も、自分の購入したバリカン(Panasonic)のアタッチメント(昔は30mm、現在は80mm)で比較的長く残すように刈っている。(それでも、そこそこ短くなってしまう)
年に一回程度で済むので精神的に楽だし、刈るのは結構難しかったが失敗はこれ一度も無く、慣れれば要領が掴めて来る。(どうしても前髪は短くなるが)
髪形に拘る10代、20代でもないし未練は無いが、一度も入った事の無い「美容室」に死ぬまでには、闊歩して肩で風を切りながら入ってみたい。
結句、鏡を見ないと言う実践の試みは強迫観念、行動に於いてはある程度願ったり叶ったりな事でもあるが、人が生きて行く上では大変難儀な事でもあり
その「生き苦しさ」、「息苦しさ」を日々痛感したりするのである。苦苦…。


まぁそんなことはさて置き、去年久しぶりに「醜形恐怖」と言うキーワードをGoogleに掛けて検索すると、興味深い論文が出て来た。
参考文献click→醜形恐怖症の原因は、自分の顔を正しく認知できないから? (リンク切れの場合等は、ご了承下さい)
これは私が25歳くらいから気付いていて、醜形恐怖の主題とまで言えるのではないかというものであって、これが改善さえすれば
これまでの自分の人生は全て払拭解放され、もっと華やかに日々生活が出来…(笑と、年甲斐もなく心をときめかせて居たりする。


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-2012.5-(後日、加筆修正有り)


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