-<2>美容整形の決意-


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/美容整形の決意/

心療内科クリニックに通い続けていたが、「醜形恐怖」と言う根源には薬や医者のカウンセリング等は当時の私には何の解決策にもなっておらず
しっかりとした診断名の様なものも思春期(未成年)の私には付けられず、「自分のこの症状にはきっと病名があるはずだ!」と
世の中に取り残された不安感を抱きながら、悶々とした日々を過ごしていた。
18歳(98年)か19歳(99年)かどちらか記憶に違いがあるかも知れないが、その年のクリスマス前の12月頃
等々強く押し迫って来た強迫観念に顔面が歪み、発狂し、鳥のような奇声を上げ、精神的に限界を感じ完全に音を上げてしまい美容整形の外科手術をする事に決めてしまった。
日々の脳味噌が破裂してしまいそうな苦しさは、悪さをした孫悟空を戒める三蔵法師の呪文で、あの悟空の頭の金の輪(緊箍児)を締め付けられている様な感じに似ていて
他の誰かに変わってしまいたい!いっそ他の誰かの体(人生)と入れ替わってしまいたい!、とさえ思っていたからだ。
この資金を出してくれるのは勿論家族(両親)だった。当時で100万近くしたと記憶している。 この当時は本当に苦しく最終的に家族会議を開いて貰い、結局決定事項になった。
両親や兄弟はあまりに毎日苦しんでいた私の姿を見ていたので、誰も反対はしなかった。 この頃の私は酷く気分が一喜一憂しており、何度も色々な府内市内の美容外科へ
両親と父親の車で連れて行って貰っていた。美容外科を梯子していたのだ。土砂降りの驟雨の日もあったのを強く覚えている。私を呪うかの様に強く激しく降り
横殴りに車の窓ガラスを雨粒の飛沫が叩いた。施術を受ける美容外科の病院の小さな受付兼待合室には、モニター画面に脂肪吸引や豊胸手術の生の映像が
延々と映し出されており、私はグロテスクだと内心感じていたが、何時の時も隣に居た母は「気持ち悪い」と既に声に出していた。 美容外科の医師(男医)達は私を見るなり
「する必要性は無いと思うけど…。」と一声を発したら、直様施術の話を滑らかにし始めた。その様子に嫌に奇妙な感覚を持った。



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